$ 0 0 古美術尋&ブリキ星の「お気に入り展」は、無事終わりました。 おいでいただいた沢山の皆さま、ありがとうございました。 写真は、1963年製のオリベッティのタイプライターです。 昭和のデザインで、メカニカルの魅力です。 昨日の会期最終日に、ブリキ星オープンの頃からのお客様が持って来てくださいました。 長年デザイナーの仕事をされていた方で、来月にはデザイン事務所が解散するとのこと。 このタイプラーターを捨てるに忍びないということで、ブリキ星へのバトンタッチとなりました。 ジーンとくる出来事でした。
$ 0 0 信楽にしては珍しく、地味でさりげない姿。永きにわたり土の中にあって、眠りから覚めたばかりの趣です。 大きく外反する口作りは、玉縁作りになる以前の古い形式です。室町時代初期はありそうです。 焼成温度がやや低かったことによる、土の柔らかさが魅力になっています。 よく見ないと分からないのですが、肩に意図的に付けられた線(文様)を見ることができます。この壷の用途が、骨壷だったこととの関連性を感じます。 写真にあるように、口には欠け、底には穴をふさいだ跡があります。 (口径12,5センチ、高さ26センチ、底径15センチ) 価格 45,000円
$ 0 0 菊唐草でしょうか? アラベスク装飾のような絵付けが斬新に見えます。 二代目六兵衞(1790-1860)は、江戸後期~幕末の人。 京焼の名工が輩出した時代に生きていました。 この茶入れからも、新しいものに挑戦していく気概のようなものが伝わってきます。 高台脇に六角二重枠の「清」印が押され、二代目の作だということがわかります。 古い時代の牙蓋と仕覆、箱が付きますが、極め書きはありません。 (口径3,3センチ、高さ7,3センチ、底径3,9センチ) 価格 35,000円
$ 0 0 中之条駅は群馬県四万温泉への最寄り駅。 駅近くの大衆食堂「さわや」の味噌ラーメンを食すのは、5~6年ぶりのことです。 今回は、ちょっと奮発して、チャーシュー味噌ラーメン。 以前と変わりなく、一碗ごとに味見しながらつくる、丁寧な仕事ぶり。おいしかったなあ~ 最上の家庭料理のように、なつかしくて幸せな気持ちにさせてくれる味でした。
$ 0 0 保全(1795-1854)は幕末京焼を代表する天才の一人で、写しものが得意だった人。 写しでも、ただの写しに終わらないところが凄いのです。 この花入れも、明末の交趾写し。鶴首をバランスが崩れる寸前まで長くして、なんともモダン。 紫色の交趾釉は(表千家、了々斎好みといわれていますが)濃淡の変化があって、深い奥行きです。 松文様が金彩で、さりげなく散らしてあります。 高台脇には、永楽印があります。 当時の共箱に納まっていて、箱の表側には「紫交趾鶴首花入」とあり、裏側には「善五郎造」の書付があります。 無傷です。 (口径1,7センチ、高さ27センチ、高台径4,5センチ) 価格 38,000円
$ 0 0 風外本高(1779-1847)の名は、この絵を見て知ったのですが、江戸後期の画僧。 伊勢に生まれ、8歳で出家、松江や三河の寺を渡ったそうです。 禅画の厳しさというより、ほっと一息できる絵です。 庵の中にいる赤い衣服の人は、達磨大師ですね。 小振りな掛け軸です。 (絵16×25センチ、軸33×98センチ) 価格 20,000円
$ 0 0 緑釉の発色が鮮やかな陶硯です。 型押しでつくられた如来坐像が10体、側面に貼り付けられています。 類品を見ないものですが、唐時代頃の副葬用の明器と思われます。 (径10,2センチ、高さ5,6センチ、底径12センチ)
$ 0 0 蛇がとぐろを巻き、頭を上げた姿が力強く凄味があります。 小さいけれどズッシリした重さがあり、分厚く鍍金が残り、抜群の保存状態です。 漢の時代、蛇の造形は数多く、いろいろ議論されている国宝の金印「漢委奴王国」の紐も、同じモチーフです。 蛇神は、古代中国の天地創造神話にでてくる霊獣で、生命の死と再生のシンボル。 後の龍神の起源だといわれています。 (口径2,6センチ、高さ(蓋をした状態)6センチ、底径2,1センチ)
$ 0 0 一見平凡、向き合うと、気品があり親しみが湧いてくる仏さまです。 お顔は新羅仏の面影があって、衣文も古様。 でも、トンガリ帽子に肉髪(にっけい)は、高麗仏如来坐像の特徴を表しています。 薄手の鋳造で、背中に孔をあけ、台座も含めて一鋳としているのは、とても珍しいです。 鍍金もよく残り、螺髪(らほつ)には群青が、口には朱が微かに残っています。 対馬善光寺にも、同様の彩色がされた高麗仏が伝わっています。 (高さ15センチ)
$ 0 0 羊皮紙に書かれた16世紀(1594年)フランスの契約書です。 リズミカルな文字は美しく、没食子インクとよばれる染料インクは薄茶色に退色しています。 裏表紙の落書きも、見所があります。 (22×28,5センチ)7ページ
$ 0 0 ときどき、“予定調和”を壊したくなって、とんでもないモノに魅かれるのですが、 このアールヌーボースタイルのガラスもそのひとつ。 明治~大正時代の日本のガラス職人がつくった、吹きガラスの大きな花器です。 ヨーロッパのガラス工芸作家の作品と比べると、シンプルで柔らかで、「和」を感じます。 これは、インドネシア東部ジャワ、スラバヤからの里帰り品です。 大正時代には、スラバヤ周辺に、日本ガラス専門の販売店があり、電気の傘、氷コップ、色板ガラスなどの人気商品は華僑などの富裕層を中心に広く普及していました。 この食虫植物を巨大化したような花器は、特別注文品だったと思われます。 (高さ38センチ、底径17~18センチ)
$ 0 0 窯の火で暴れた姿形がいいですね。 輪線文には生命力を感じ、ひきこまれます。 茶道具の織部茶碗を野性に返したような魅力です。 これは、15世紀後半~16世紀前半にかけて、公州郡鶏竜山周辺の窯で焼かれたもの。白化粧の上に、鉄絵の文様が特徴です。 口には修理があり、ひっつきもありますが、保存状態は良好。高台内には×の窯印があります。 保存箱が付きます。 (口径14,5~17,7センチ、高さ6,8~8,5センチ、高台径6,0~6,5センチ)
$ 0 0 比較的堅い焼きで薄作。端正ですが、ほどよいゆるさが心地よい茶碗です。 枯葉色と青灰色の窯変が美しいです。 灰褐色の陶土と突起した兜巾の高台は珍しく、初めて見るタイプです。 李朝初期に、食器としてつくられた茶碗と思われます。 写真にあるように、口縁にソゲと金直しニュウがあります。 保存箱がつきます。 (口径15,8~16センチ、高さ6,5~7センチ、高台径5センチ) 価格 46,000円
$ 0 0 実際には見たことがないのに、何故か郷愁を感じる日本の風景です。 これは、麟作(1878-1953)の1917(大正6)年3月18日の作。 和歌山県の串本から白浜辺りの風景と思われます。 彼は、明治~大正を代表する洋画家の一人。 23歳で描いた「夜汽車」は、教科書にも登場し、あまりにも有名です。 この洋画家が描いた「日本画」の風景は、大胆で格別な趣があります。 掛け軸の軸先は2つとも欠損しています。 (本紙31×130センチ、掛け軸43,5×195センチ) 価格 20,000円
$ 0 0 保全(1795-1854)は幕末京焼を代表する天才の一人で、写しものが得意だった人。 写しでも、ただの写しに終わらないところが凄いのです。 この花入れも、明末の交趾写し。鶴首をバランスが崩れる寸前まで長くして、なんともモダン。 紫色の交趾釉は(表千家、了々斎好みといわれていますが)濃淡の変化があって、深い奥行きです。 松文様が金彩で、さりげなく散らしてあります。 高台脇には、永楽印があります。 当時の共箱に納まっていて、箱の表側には「紫交趾鶴首花入」とあり、裏側には「善五郎造」の書付があります。 無傷です。 (口径1,7センチ、高さ27センチ、高台径4,5センチ) 価格 38,000円
$ 0 0 風外本高(1779-1847)の名は、この絵を見て知ったのですが、江戸後期の画僧。 伊勢に生まれ、8歳で出家、松江や三河の寺を渡ったそうです。 禅画の厳しさというより、ほっと一息できる絵です。 庵の中にいる赤い衣服の人は、達磨大師ですね。 小振りな掛け軸です。 (絵16×25センチ、軸33×98センチ) 価格 20,000円
$ 0 0 緑釉の発色が鮮やかな陶硯です。 型押しでつくられた如来坐像が10体、側面に貼り付けられています。 類品を見ないものですが、唐時代頃の副葬用の明器と思われます。 (径10,2センチ、高さ5,6センチ、底径12センチ)
$ 0 0 蛇がとぐろを巻き、頭を上げた姿が力強く凄味があります。 小さいけれどズッシリした重さがあり、分厚く鍍金が残り、抜群の保存状態です。 漢の時代、蛇の造形は数多く、いろいろ議論されている国宝の金印「漢委奴王国」の紐も、同じモチーフです。 蛇神は、古代中国の天地創造神話にでてくる霊獣で、生命の死と再生のシンボル。 後の龍神の起源だといわれています。 (口径2,6センチ、高さ(蓋をした状態)6センチ、底径2,1センチ)