(「西荻窪の道路拡張を考える会」のブログからの転載です)
<東京ガスの跡地を利用した施設と防災公園の提案を描いたリチャードさんの絵>
私たちのかけがえのない仲間、
リチャード フレイビンさんが、5月11日永眠されました。
76歳でした。
突然の別れに、私たちは今、深い悲しみに沈んでいます。
コロナ禍で、面会が制限されていた病院からやっと自宅に戻られ、さわやかな新緑に囲まれた居間に横たわるリチャードさんのお顔は、やさしい笑みを浮かべているようでした。
リチャードさん、ありがとう。
私たちは決してあなたのことを忘れません。
<リチャードフレイビン和紙作家>
(写真、Sindブログより)
一昨年の9月から道路拡張に反対して「西荻窪の道路拡張を考える会」を立ち上げてからずっと一緒に頑張ってきました。病気の治療中でも道路問題のことを心配し、拡張反対の意志強く積極的な姿勢は一貫して変わりませんでした。
ユニークな発想ときっぱりした発言は、その存在感を際立たせていました。
道路拡張の理由として、区が最初に最も強調したのは、「災害時に東京ガスの緊急車両が青梅街道まで出られるようにするため」でした。
しかし、リチャードさんは「私、毎日東京ガスの前通っていますが、人が少ないし建物もあまり使われていません」「東京ガスは移転して跡地を防災公園にするのが地域のためになります」と説得力のある言葉で反論し、すぐに、東京ガスの建物を子どもや年寄りの施設にして敷地を防災公園にする構想を持って、絵(上)を描いてくださいました。
その後まもなく、リチャードさんが言っていたとおり、本当に東京ガスの移転があきらかになり、今年5月には、車も人もいなくなってしまいました。
ジャパンタイムスに「西荻窪を守る」を投稿したリチャードさん
思えば、「ジャパンタイムス」へ西荻のことを投稿されたのはわずか一年前のことです。
文章には、西荻の街を愛する気持ちがあふれていました(再録します)。
<「ジャパンタイムス」2019年5月>
「西荻窪を守る」
西荻窪は中央線の荻窪と吉祥寺の間にあるユニークな街です。
4月14日に掲載された『Transforming nonessentials into essentials』という記事の中で、オーストラリアのファッションデザイナー・Vaughan Allison氏は「東京であまり知られていない魅力的な場所はどこですか?」という問いに、「西荻窪」と答えました。
「西荻窪はたくさんの宝物にあふれています。路地を歩けば、あちこちで宝物に出会えます」
今、若い世代の間で「東京で住みたい街」に選ばれる理由が、そこにあると思います。
服飾デザイナーである私の妻は、西荻窪に40年以上住んでいます。私や妻のようにここに住んでいる者にとって西荻窪での生活は、日々ちょっとした贈り物をいただいているような、そんな気分で満たされています。
ここには、昔ながらの魚屋、肉屋、八百屋、パン屋があり、バラエティーにあふれたレストラン、ギャラリー、本屋、アンティークショップ、音楽ライブやスペシャルイベントがあります。夜になれば、たくさんの人たちがくつろぎの場へ集まり、リラックスしながらお酒や食事を楽しみます。西荻窪に住む人たちや商店街の人たちにとって、それはとても誇らしいことです。
ところが残念なことに、私たちの街の未来は今とても不安定です。
青梅街道から西荻窪駅に至る北銀座通り商店街では道路拡張が計画されています。これは、東京に残る魅力的な地域が、また一つ壊されるということです。このようなことが起きぬよう願います。
私たちはこの意味のない計画から西荻窪を守るために、出来ることはなんでもしていくつもりです。 RICHARD FLAVIN
<リチャードさん制作のポスター>
(中央のステッカーは豊泉奈々子作)
「西荻窪の街を守りたい」というリチャードさんの遺志を、私たちは継いでいきたいと思います。
リチャードさん、あなたは私たちの心の中にずっとずっと生きつづけています。
<東京ガスの跡地を利用した施設と防災公園の提案を描いたリチャードさんの絵>
私たちのかけがえのない仲間、
リチャード フレイビンさんが、5月11日永眠されました。
76歳でした。
突然の別れに、私たちは今、深い悲しみに沈んでいます。
コロナ禍で、面会が制限されていた病院からやっと自宅に戻られ、さわやかな新緑に囲まれた居間に横たわるリチャードさんのお顔は、やさしい笑みを浮かべているようでした。
リチャードさん、ありがとう。
私たちは決してあなたのことを忘れません。
<リチャードフレイビン和紙作家>
(写真、Sindブログより)
一昨年の9月から道路拡張に反対して「西荻窪の道路拡張を考える会」を立ち上げてからずっと一緒に頑張ってきました。病気の治療中でも道路問題のことを心配し、拡張反対の意志強く積極的な姿勢は一貫して変わりませんでした。
ユニークな発想ときっぱりした発言は、その存在感を際立たせていました。
道路拡張の理由として、区が最初に最も強調したのは、「災害時に東京ガスの緊急車両が青梅街道まで出られるようにするため」でした。
しかし、リチャードさんは「私、毎日東京ガスの前通っていますが、人が少ないし建物もあまり使われていません」「東京ガスは移転して跡地を防災公園にするのが地域のためになります」と説得力のある言葉で反論し、すぐに、東京ガスの建物を子どもや年寄りの施設にして敷地を防災公園にする構想を持って、絵(上)を描いてくださいました。
その後まもなく、リチャードさんが言っていたとおり、本当に東京ガスの移転があきらかになり、今年5月には、車も人もいなくなってしまいました。
ジャパンタイムスに「西荻窪を守る」を投稿したリチャードさん
思えば、「ジャパンタイムス」へ西荻のことを投稿されたのはわずか一年前のことです。
文章には、西荻の街を愛する気持ちがあふれていました(再録します)。
<「ジャパンタイムス」2019年5月>
「西荻窪を守る」
西荻窪は中央線の荻窪と吉祥寺の間にあるユニークな街です。
4月14日に掲載された『Transforming nonessentials into essentials』という記事の中で、オーストラリアのファッションデザイナー・Vaughan Allison氏は「東京であまり知られていない魅力的な場所はどこですか?」という問いに、「西荻窪」と答えました。
「西荻窪はたくさんの宝物にあふれています。路地を歩けば、あちこちで宝物に出会えます」
今、若い世代の間で「東京で住みたい街」に選ばれる理由が、そこにあると思います。
服飾デザイナーである私の妻は、西荻窪に40年以上住んでいます。私や妻のようにここに住んでいる者にとって西荻窪での生活は、日々ちょっとした贈り物をいただいているような、そんな気分で満たされています。
ここには、昔ながらの魚屋、肉屋、八百屋、パン屋があり、バラエティーにあふれたレストラン、ギャラリー、本屋、アンティークショップ、音楽ライブやスペシャルイベントがあります。夜になれば、たくさんの人たちがくつろぎの場へ集まり、リラックスしながらお酒や食事を楽しみます。西荻窪に住む人たちや商店街の人たちにとって、それはとても誇らしいことです。
ところが残念なことに、私たちの街の未来は今とても不安定です。
青梅街道から西荻窪駅に至る北銀座通り商店街では道路拡張が計画されています。これは、東京に残る魅力的な地域が、また一つ壊されるということです。このようなことが起きぬよう願います。
私たちはこの意味のない計画から西荻窪を守るために、出来ることはなんでもしていくつもりです。 RICHARD FLAVIN
<リチャードさん制作のポスター>
(中央のステッカーは豊泉奈々子作)
「西荻窪の街を守りたい」というリチャードさんの遺志を、私たちは継いでいきたいと思います。
リチャードさん、あなたは私たちの心の中にずっとずっと生きつづけています。