$ 0 0 フランスの田舎の風景と思われる1923(大正12)年作の絵です。 不思議なゆるさと心地よさが伝わってきます。 この時代(大正~昭和初)の洋画は、描き手の切実さがあふれるのですが、それとはちょっと違った面白さがあるのです。 恒平(1890-1965)は、経済的に恵まれていて生涯気ままに絵を描きつづけた人。 作品はあまり残っていません。 (45×52センチ 額無し)
$ 0 0 美しい姿形の壷です。 ふっくらした胴に、引き締まった口造り、勢いのある太い筆致の草文が心地よいです。 青色灰白磁に、染付はやや暗めの発色、壷の底は削り出しされています。 肩に「上」の文字が入っているのですが、意味するところが不明です。 写真にあるように、口縁に小さなワレ修理とニュウがあります。 珍しいタイプなので、制作年代は諸説でてきそうですが、私には李朝中期にさかのぼるものに見えます。 (口径7センチ、胴径15センチ、高さ12,6センチ、底径6,5センチ)
$ 0 0 「かいじゅう屋」さんが目白から引っ越して二ヶ月。 久しぶりにかいじゅう屋さんのパンが食べたくなって、西武立川から歩いて10数分、鈴木農園内にあるお店に行ってきました。 今日は、「一日だけのレストラン」の日で沢山の人出。和食や洋食のお店も出て、野外の昼食を楽しんできました。 かいじゅう屋の橋本さんは、ますますパン屋さんらしい、いい顔になっていました!
$ 0 0 白磁の上がりのよさと、切れ味のよい形、力強い高台は、初期伊万里の魅力が凝縮されているようです。 手に取ると、ずっしりとした重さで、確かな手ごたえがあります。 写真にあるように、ワレ修理があるのは残念ですが、今まで手にした初期伊万里白磁中皿のなかでも最も好きなものです。 (径 約20センチ、高さ 約3,9センチ、高台径7,4センチ) 価格 80,000円
$ 0 0 平安末の備前は、以前から憧れていたもののひとつ。 古代と中世のよいところを合わせ持っているように見えます。 この小壺は、須恵器と同じ灰白色の土で、骨格がしっかりした造形です。 掌サイズなのに、手に取ると意外に重さがあり、分厚い造り。 下部から底にかけて、ヘラで形成されています。 備前焼は、平安末に備前三箇所の地域で始まり、桃山まで継続して焼かれてきました。 この小壺は、寺院か神社用だったと思われますが、どこの窯かは不明です。 (口径5センチ、高さ5,7センチ、底径4,5~4,8センチ) <売約済みになりました>
$ 0 0 これだけ大ぶりで、上がりのよい盃は珍しいです。 古九谷様式到来間近の形状ですが、比較的分厚い造りで、ほどよい重さが感じられます。 写真にあるように、口縁に一箇所ホッがあります。 (口径7,8センチ、高さ5,3センチ、高台径3,3センチ) 価格 50,000円
$ 0 0 これは、縄文時代晩期の蛇型の石器です。 自然石を利用し、眼の部分が彫られているだけですが、存在感にあふれています。 蛇の胴体の部分は手になじみ、縄文集落のシャーマンが祭祀のときに手にする姿を妄想してしまいます。 蛇はキリスト教世界においては悪魔の使いですが、古来、再生のシンボル。 縄文時代に蛇は土器の装飾表現として数多く登場します。しかし石器は意外なほど僅かです。 (長さ 約20センチ)
$ 0 0 古手の錫縁香合のなかでは珍しいほど地味。でも楚々として品があります。 艶の消えた黒漆に蒔絵の花紋(菊紋にも松紋にも見え、判断できません)を散らし、内側と底は梨地粉(細かい金粉)をまいただけです。 元来、蒔絵錫縁香合は、女性の化粧道具の手箱(長方形は羽黒入れだったとか)を転用したもので、その時代の流行がデザイン化されていて、どちらかというと華美な世界です。 ところが、この香合は初めからお茶の世界を意識してつくられたのでは、と思ってしまうほどに侘びた世界です。 なので、時代判定は難しく、大ざっぱに室町~桃山頃としておきます。 保存状態も良好です。 仕服と、「三宅亡羊所持」(亡羊は江戸前期の茶人)と書かれた箱が付きます。 (5,7×7,8センチ、高さ3,2センチ)
$ 0 0 ざっくりした鉄で、泰然自若とした姿がいいですね。鋳込み跡も文様に見えてきます。 四方に持ち手のあるこの形は、李朝の石製品(石鍋や火入れ)でも見ることができます。 (口径26,5センチ、胴体(持ち手含む)43,5センチ、高さ15センチ) 価格 45,000円
$ 0 0 縄文なのに、無紋の土器。 形は、縄文晩期に始まる元祖「製塩土器」に似ています。 しかし、当時の製塩土器は薄手で研磨が特徴といわれるのに、これは驚くほどの分厚いつくりです。 なので、製塩土器とは判定せず用途不明ということに。 3枚目の写真にあるように、口縁にワレ修理がありますが、共直しはありません。 写真は底に支えをして撮影しましたが、自立しません。 関東地方の縄文遺跡からの出土品です。 (口径約10センチ、高さ約19センチ、底径3,5~4センチ) 価格 40,000円
$ 0 0 これは紀元前3世紀の玩具。 魚さんの姿が愛らしく、振るとカラカラと乾いた音がします。 朱の色が残っているので、真っ赤なお魚さん。 秦の首都だった咸陽から出土されるもので、当時これが商品として販売されていたというのですから驚きです。 同様の魚形陶鈴は、近年、東京国立博物館での「始皇帝と大兵馬俑展」で展示されました。 (長さ10,5センチ、厚さ最大2,5センチ) 価格 40,000円
$ 0 0 李朝分院の盃のなかでも、最上手なもののひとつ。 牡丹紋と蝶紋は描き込まれているのに、うるさくなく品があります。 見込みには「福」の文字。見込みがこれだけ深い盃は珍しいです。 底は分厚く、削りだし高台です。なので、ずっしりした重さで、手取りのよさがあります。 高台内に釉切れがあります。古い箱が付きます。 (口径6,3センチ、高さ5,6センチ、高台3センチ)
$ 0 0 渦巻き状の角の羊さんが、一休みしている姿がいいですね。 これは中部ジャワの発掘品です。 香料貿易の交易品として、古代中国かオリエント世界から持ち込まれたものと思われます。 ギリシャ神話の山羊神や殷の青銅器に登場する神としての羊ではなく、これは家畜化された愛らしい羊さん。 これとほとんど同じモチーフで、漢~宋の時代の長きにわたって副葬品の俑がつくられています。 プリミティブの金製品の多くは、金と銀の合金です。これは金の純度が高く、時代がさかのぼるものです。 (横4,5センチ、高さ2,8センチ、重さ22グラム)
$ 0 0 文様や装飾のない青磁ですが、飽きがこない良さがあります。 内側の釉だまりは、翡色釉のように美しく、外側は青磁釉が溶けきらないで白濁化し、景色になっています。 高台は削り出し。12世紀頃のものです。 (口径16,2センチ、高さ5,5センチ、高台径4,5センチ) 価格 45,000円
$ 0 0 中川伸二さんが選んだ、ものいろいろシリーズの展示即売会が始まります。 ジャンクからプリミティブ、絵画など、魅力的なものたちが並びます。 猛暑復活の日々ですが、みなさまのお越しをお待ちしています。 8月25日(金)~27日(日) 11時ー19時 主催 中川伸二 会場 ギャラリーブリキ星
$ 0 0 見た目はいかにも古染付。手に取ると釉薬も土も伊万里なので驚きます。 初期伊万里の古染付写しで、ちょっと抜けた感じの松竹、人物像の染付がなんとも好ましいです。 三脚のつくりもシャープです。 縁に小さな金直しとソゲがありますが、伝世品としてはよい状態です。 (12,5×16センチ、高さ2,5~3,2センチ) <売約済みになりました>
$ 0 0 多作で珍しくない和全。でも、この香炉を見てドッキリです。 呉須赤絵の写しなのですが、本歌にしばられず、美事なあばれ具合。 和全ってこんなに凄い人だったのかと。 江戸後期~幕末の京焼の懐の深さを改めて知ることができました。 銀製の火屋(ほや)と和全の元箱が付きます。箱紐は失われています。 (口径4,2センチ、高さ(本体)5センチ、高台径3,8センチ) <売約済みになりました>
$ 0 0 雲鶴茶碗とは、雲と鶴の文様が象嵌された青磁の茶碗のこと。 雲の合間を大小の鶴がのびのびと飛んでいます。象嵌のはがれが見られますが、それが侘びています。 褐色のねっとりと粘り気のある土で、薄く形成されています。 青磁釉はやや濁り、艶がでてガラス質状になっています。 高台内は小さな兜巾(ときん)が削り出されています。 これは17ー18世紀、日本からの注文で釜山窯で焼かれた御本茶碗です。 高台に、二箇所修理があります。 明治~大正時代の箱が付きます。 (口径9,4~10センチ、高さ6,7センチ、高台径5,3~5,5センチ) 価格 45,000円
$ 0 0 微笑みの小さな新羅仏。飽きがきません。 朝鮮半島の仏像は、中国の影響を受けながら変化していくのですが、これは、それとは違う系譜。 8世紀頃の新羅石仏に影響を受けた金銅仏に見えます。 造形は平面的ですが、愛らしく親しみ深い仏さまです。 裏側は大きく開いています。元々簡略化されたつくりだったのか、別鋳のものが外れたのかは分かりません。 (高さ<本体>8,5センチ)
$ 0 0 先週、近くて遠かった諏訪に行ってきました。 諏訪大社、万治の石仏、博物館めぐりです。 御柱祭のときには賑わう諏訪も、静かでノンビリした雰囲気。 ところが、出かける前に宅急便で送ったものが破損していたとの連絡が入り、ボー然。 ああすればよかった、こうすればよかった、と反省しながらの諏訪めぐりとなりました。