源内焼香炉
黄、緑、紫の三彩の発色鮮やかな蓮弁の香炉です。 これは、平賀源内が交趾焼(中国南部の華南三彩)の陶法を長崎から伝えたといわれる源内焼。 江戸中期に現在の香川県さぬき市でつくられました。 この蓮弁の香炉を見ていると、交趾写しでは大先輩の仁清などの京焼に影響を受け、限られた条件のなかで独自の道を意識していたように感じられます。 軟質陶器で壊れやすいのですが、よい保存状態です。保存箱がつきます。...
View Article柿右衛門平杯
平杯の中に、オブジェ。愉しくなります。 大湖石といわれる岩に、草花が描かれる意匠は、柿右衛門様式の中心です。 これが、平杯の中に彫刻作品のように立体化されています。 花弁の一部、岩の上にとまっている鳥が欠損し、高台にも小さなカケがあります。 底には、小さな穴があいています。 私のような下戸には、飲んでいる振りのできる、よい杯です。 欧米からの里帰り品です。...
View Article東部ジャワ出土10世紀の金銅仏
残存数がわずかな、東部ジャワ10世紀の金銅仏です。 動きがあって、抜きもよく、完成度の高い造形です。 黒錆の下には分厚い鍍金が残っています。 金剛界曼荼羅のひとつ、金剛薩埵像のように見えます。 中部ジャワの密教美術はよく知られています。 メラビ火山の噴火により」、中部ジャワ一帯は火山灰に覆われます。 929年頃ジャワ中部から東部に遷都されます。 この仏像は遷都されて間もない頃のもの。...
View Articleスマトラ出土 翡翠の母子像
コロンとして愛らしい、風化した翡翠の母子像です。 スマトラ出土で、BC1000年~AD300年頃のものと推定されます。 翡翠は硬度があり加工しにくいので、古代美術品のなかで人物造形は僅か。 オルメカの翡翠のマスクを思い浮かべるくらいです。 日本の縄文~弥生の翡翠文化も、大珠や勾玉などの装飾品を生み出しましたが、人物造形にはたどりつきませんでした。...
View Article中部ジャワ出土の金銅仏
黒錆におおわれた、8世紀末~9世紀初にさかのぼる僧形坐像です。 端正なお顔をした若き僧に見えます。 中部ジャワは、日本より25年も前に密教が伝わった地。 松岡正剛さんの『空海の夢』によれば、「恵果は三十五歳のころ南方を訪れ、建中元年(780年)にはジャワ僧の弁弘に胎蔵法を伝えた」とあります。 この僧のモデルは誰なのか? 想像がふくらみます。...
View Article小林且典展 2022.11.19(土)ー26(土)
小林且典展 2022年11月19日(土曜日)~26日(土曜日) 12:00ー19:00 鋳型から割り出された生まれたてのブロンズは、灼熱の塊となって 陽炎のスクリーンをまとう。 その揺らぎを静かに観察していると記憶の中にある風景がそこに 投影され始める。 記憶の風景には触覚や嗅覚など、ありとあらゆる感覚が混在し、 その姿はとても曖昧で滲んだり霞んだりしていて古いものほど美しい。...
View Article内田巌の油絵
向かい合う二人の子供達。 内田巌(1900-1953)の「家族の肖像」と思われます。 暗雲たちこめる1930年代後半、リベラリストの巌は、 無表情で立ちすくむ子供達の群像をいくつも描きました。 この絵も、その一連の作のひとつ。 簡潔でひきしまった構図、少女の顔の表情はうかがえず、物悲しさが伝わってくる、 素直なよい絵です。 (板に油41×31,5センチ、額54×44,5センチ)
View Article微笑みの如来像
いにしえの微笑みをたたえた如来像。穏やかで優雅な姿です。 これは、スマトラ出土で、時代も7世紀にさかのぼるものです。 7世紀のスマトラは、海洋交易によって栄えたシュリーヴィジャヤ王国の時代。 この国は、スマトラからマレーにまたがる連合国家で、スマトラでは初期密教(金剛界系)が展開されていたといわれています。 (高さ 14,5センチ) 価格はお問い合わせください。
View Article暖炉用グリル
解放感があって、現代彫刻の優品を見ているようです。 これは、仏・ノルマンディーで使われていた暖炉用のグリル。肉などを焼いたものです。 粘り気のある錬鉄の質感が好ましく、時代を感じさせます。 (高さ54センチ、横35センチ) 価格はお問い合わせください。
View Article李朝の箱
素だけれど品がある李朝の箱です。李朝木工品のなかで数少ないピンのもの。 うまこしさんの「ひとり展」でこの箱を見たとき、 懐かしい記憶がよみがえりました。 私が初めて骨董品を買ったのは、目白の古道具屋さんで見た李朝のバンダジでした。 この小さな箱とバンダジは大小の違いはあるけれど雰囲気も造りも同じ、 産地も同じだと思います。 ウン十年前にその古道具屋の店主坂田さんに出会ったことで、...
View Article2023年 迎春
2023年 迎春 今年もどうぞよろしくお願いします 昨年6月の杉並区長選挙で、道路拡張見直し派の岸本聡子さんが当選し、 新区長が誕生しました。 しかし、喜びもつかの間、 前区長が進めていた道路拡張計画を完全にストップさせる困難さに直面しています。 「ブリキ星」の存続も不安定ですが、 ギャラリーを続けていくことで道路拡張への反対の意志を示したいと、...
View Article前漢加彩俑
ウン十年前、古道具坂田からやってきた前漢時代(BC207~AD8年)の加彩俑です。 その頃の坂田さんは、唐以降の俑ではなく前漢俑を特別に評価していました。 兵馬俑にみる秦(BC221~BC207)時代の怖ろしいまでのリアリズムから、前漢に入って骨太の抽象表現に変化していった造形が好みでした。...
View Article瓢箪茶入れ
姿形の美しい茶入れです。 和物か唐物か、意見が分かれます。 胴下部の「ロクロ目」と一筋なだれを見ると、 遠州の指導でつくられた膳所(ぜぜ)茶入れのようです。 しかし、この茶入れは遠州の繊細な綺麗さびとは異なる素の佇まい。 底もややゆがみ、「ロクロ目」もゆるい文様です。 私には明時代の唐物茶入れに見えます。 口縁の内側にホツがあります。 仕覆と箱がつきます。箱は蓋のみオリジナルです。...
View Article川口軌外の油絵
後期印象派の香りいっぱいで、心のおもむくままに描いた静物画。 気持ちが解放されるような心地よさです。 1945年郷里である和歌山に疎開して数年間、野菜や果物を描いていた時期があり、 その頃の作品です。 軌外(1892-1966)は、1919~23年、1924~29年と二回にわたって渡欧し、 後期印象派とその後のフォーブ、キューブ、シュールの影響を一身に受けました。...
View Article木村荘八の素描
荘八(1893-1958)最初期、私立京華中学校時代17歳の作です。 その2年後には岸田劉生との出会いがあり、ヒュウザン会に参加して、 油絵の傑作を残しています。 *額をはずして撮影しています。 (紙に鉛筆15×22,5センチ、額36×43,5センチ) <価格はお問い合わせください>
View Article13世紀小型聖書写本
薄い透き通るような紙に書かれたゴシック体の文字。 その文字の、小さいのに驚きます。 米粒よりはるかに小さく、当時の製作者の作業を想像すると気が遠くなります。 黒の没食子インクで、ガチョウの羽ペンを使って書かれています。 一部は赤や青の顔料も使用されています。 小型の携帯用聖書は、13世紀の技術革新によって生まれ、 旅する宣教師にとって欠かせないものだったようです。...
View Article山尾薫明の油絵
薫明(1903-1999)は、佐伯祐三を慕って1932年に渡欧。 この油絵はその年の作品です。 仏の小さな海街。家族三人が建物を見上げています。 一見、特徴のない絵ですが、カラフルで軽みが魅力。 親しみがわいてきます。 (キャンパスに油31×41センチ、額56,5×66センチ) 価格はお問い合わせください。
View Article青山熊治の油絵
くすんだ色調の密度の濃い風景画です。 サインの特徴と画風から、東京美術学校に入学した18歳頃の作に見えますが、 断定はできません。 私にとって、青山熊治(1886-1932)は特別な人。 日露戦争勝利で多くの人々が高揚感に浸っている時代に、 1906年(20歳)で「老坑夫」を描き、 1907年(21歳)には北海道に渡ってアイヌの人々を描き、...
View Article雄羊金製ペンダント
脚を曲げてしゃがむ動物モチーフの源流はスキタイにあると、 人から教えてもらったのは最近のこと。 この愛らしい雄羊の金属ペンダントの出土地は中部ジャワです。 この地には、紀元前からの香料交易により、金や金の工芸品が集積していきました。 このように質の高い金製品がどこからやってきたのか、 古代オリエントか、古代中国か、妄想がふくらみます。 (横4,9センチ、高さ2,8センチ、重さ22グラム)...
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