高麗黒釉瓶
美しい黒釉の発色、ほどよい緊張感のある姿形、名品だけれど親しみを感じられるところがいいですね。 片面が大きく面取りされていますが、これは高麗初期の「緑青磁」瓶から続く古式の形です。 底には、黒釉が分厚くたまっています。 時代は高麗陶磁の完成期、12世紀頃のもの。無傷完品です。 (口径7,5、高さ26,6、底径8,5センチ) 価格はお問い合わせください。
View Article鳥文様のトンボ玉
抽象化されたいくつもの鳥文様は、ガラス細工として見事なものです。 これは、中部ジャワ出土のトンボ玉。 これを、インドネシアを原産国とみる人は5~8世紀頃のものとしています。 一方、西アジアを含む世界各地から香料貿易の対価としてインドネシアの島々に集積していったという研究もあります。 (長さ4センチ、重さ19グラム) 価格はお問い合わせください。
View Article初期伊万里掛花入れ
一見、李朝と見まがう初期伊万里の茶道具掛花入れです。 白化粧された白磁、裏側は大きく面を取り、前面が鉋で形成されているのは、 初期伊万里掛花入れの約束通りです。 しかし、目にする掛花入れはすべて染付で、白磁の類品がないため、 判断が分かれるものです。 (口径8×9,5センチ、高さ14センチ、底径8,5センチ)
View Articleダヤクの守護神
異様なパワーの木彫です。 眼には白い貝がはめ込まれ、角と牙を持ち、からだは女性です。 これは、ボルネオ島のカヤンダヤク(バハウ族)の「アソ」といわれる守護神の像です。 神話的動物の「アソ」は、龍(ドラゴン)の一種であることから、古代中国の影響が指摘されています。 「アソ」の造形は、ダヤクの住居(ログハウス)の柱や扉にレリーフとして残っていますが、立体彫刻として確認されているのは、数点のみです。...
View Article三国時代の子持ち土器
普段はガラス越しでしか見る機会のない子持ち土器。これは朝鮮半島三国時代(5~6世紀)のものです。 かの国では、灯火器だったといわれています。ふっくらとした3つの小壺の底には、灯芯を通す穴があけられています。 この土器が日本に伝わると、灯火器としての用途は失われ、装飾的なものに変化します。 子持ちの装飾須恵器は、全国各地から出土しています。一方、本家の朝鮮半島での出土例はごく僅かです。...
View Article朝鮮半島の青銅馬
愛らしく、力強い、青銅馬。「古代の美」の趣があります。 鉄馬や土馬は時々見かけますが、多くは統一新羅時代以降のもの。 寺の建立の際に埋められたり、村落の守護神であったり、祈雨祭祀など農村儀礼的なもので、 いずれもプリミティブな造形です。 青銅馬ははじめての出会いです。 箱には、「新羅青銅馬 壺中居41.7」と書かれていますが、 私には、2~3世紀頃の原三国時代のものに見えます。...
View Articleアール・ヌーボースタイルの和ガラス
ときどき、“予定調和”を壊したくなって、とんでもないモノに魅かれるのですが、 このアールヌーボースタイルのガラスもそのひとつ。 明治~大正時代の日本のガラス職人がつくった、吹きガラスの大きな花器です。 ヨーロッパのガラス工芸作家の作品と比べると、シンプルで柔らかで、「和」を感じます。 これは、インドネシア東部ジャワ、スラバヤからの里帰り品です。...
View Article本多錦吉郎の油絵
本多錦吉郎(1851嘉永3年-1921大正10年)が描いた油絵「南紀 潮の岬灯台」です。 明治初期に、このような迫力あるリアリズムの絵が描かれていたことが驚きです。 (同時代の高橋由一でさえ風景画は凡庸でした) 錦吉郎は1874(明治7)年、英国帰りの国沢新九郎の画塾に入り、翌年には塾頭になります。 1877(明治10)年には国沢が病死し、画塾を引き継ぐことになります。...
View Article林重義の油絵
郷愁をさそう裏町風景がいいです。 しみじみとした気持ちにさせられます。 キャンパス裏には「大正十三年三月 林重義 寫」と墨書きされています。 林重義(1896-1944)は、1922年11月小林和作と共に上京し、新宿 上落合に住んでいます。 この絵は「上落合風景」と思われます。 関東大震災の半年後なのに、その傷跡がないのが不思議だったのですが、 目白周辺はほとんど被害がなかったそうです。...
View Article苅谷重子さんの絵
8月中、ブリキ星常設空間のなかで、 苅谷重子さんの絵を展示しています。 苅谷さんは若い頃伊藤深水の塾にいたこともありましたが、 人に教えてもらうこともなく独学。 日々、広告紙の裏に絵を描いていた、文字通りの「絵描きさん」でした。 生涯、個展はブリキ星での二回のみです。 2008年12月23日、84歳で亡くなりました。 人とはちがう時間、江戸時代を生きていたような人でした。...
View Article磁州窯 白地線刻魚文枕
水の中を気持ちよさそうに泳いでいるお魚さんの絵の見事なこと。 この上に頭をのせて眠れば、よい夢を見られそうです。 これは中国北宋時代(11世紀)に、磁州窯で焼かれた陶枕(とうちん)。 庶民の実用品でした。 白土を塗り、乾ききらないうちに竹か木で線刻し、透明釉をかけて焼かれています。 底には窯傷があります。 (23センチ×18,3センチ、高さ7,3~9,4センチ)
View Article高間惣七の油絵
これまでの好みとはちょっと違う絵。 一種、世紀末的な雰囲気を感じて妙に惹かれるのです。 惣七(1889-1974)は、1920年代からオウムやインコなどの鳥を描き続けた画家。 晩年は、原色を使い明るい色調の絵になっています。 この絵は、1945年前後の作品と思われます。 (板に油絵 38×45,5センチ、額 51,5×57,5センチ)
View Article政宗得三郎の油絵
政宗得三郎(1883-1962)は、「色彩の音楽」をめざしていて明るい絵が多いのですが、 この初期作は静寂に沈むような異色作です。 得三郎が第一回目の渡欧でパリについたのは1914(大正3)年の6月です。 翌月の7月28日、第一次世界大戦がはじまります。 一時、島崎藤村とともにリモージュに避難しますが、同年11月にはパリに戻ります。...
View Article満谷国四郎の油絵
満谷国四郎(1874<明治7>-1936<昭和11>)の初期油絵です。 暗い色調のリアリズムの静物画ですが、見飽きぬ魅力があります。 キャバレー王だった福富太郎さんは、満谷国四郎の初期作品に夢中でした。 福富コレクションの「軍人の妻」(明治37年)は満谷作品の白眉ですが、 この静物画も同時期の作だと思われます。 満谷国四郎は明治44年第二回目の渡欧をしますが、...
View Articleドンソン文化のサイのブロンズ
かわいいスマトラ サイですね。 今では、生息数は80頭を切ったといわれていますが、 昔はスマトラだけでなく、インド、タイ、カンボジア、ベトナムと広く分布していました。 多くの青銅器群を残しているドンソン文化の最盛期は、紀元前3世紀から1世紀頃です。 このスマトラのブロンズもドンソン文化を代表する出来映えで、インドネシアやベトナムの博物館の名品に並ぶものです。...
View Article内海満昌展 ~油彩と立体~ 9月23日(土)~29日(金)
内海満昌展 ~油彩と立体~ 2023.9月23日(土)ー29日(金) 12:00ー19:00 内海さんとの出会いは2001年3月、ブリキ星をオープンする以前のことでした。 当時、京都弘法さんの蚤の市で、彼は自作の絵を並べて売っていました。 20歳から描きはじめた絵は独学。 絵を描かなければ生きていけないことが伝わってきました。...
View Article和田英作の油絵
多摩川下流の矢口の渡しの夕暮れ風景です。 コバルトブルーを基調にしたこの絵は、 英作(1874-1959)、明治20年代半ばの初期作です。 拙さがかえって好ましく、心地よさを感じます。 その後、明治27年20歳の時に、それまでの師だった原田直次郎が病のため、 黒田清輝の天真道場に入門。どんどん腕を上げて、明治30年23歳の時には、 代表作「渡頭の夕暮れ」を描き上げます。...
View Article本日から山邉健太郎展がはじまります 2023年10月7日
山邉健太郎展 10月7日(土)~13日(金) 12:00ー19:00 書、墨絵、印、小箱、焼きものの作品が並びます。 どの作品からも、山邉さんの佇まいが伝わってきます。 無理なく、自然で、凛として、愉しみも。 私もそうありたいという気持ちにさせられます。 ギャラリーブリキ星 加川弘士
View Article慶長裂
今まで、日本の古裂に向き合う機会がなかったのですが、この慶長裂を見て、 その魅力を知りました。 モダンデザインのような鹿の子絞りがいいですね。 吉祥文や秋草の刺繍が繊細で見事です。 全体に摺箔が施されていたようで、かすかに確認することができます。 この江戸初期の慶長裂は、元々は能装束だったと思われます。 (14,5×19,5センチ) 価格はお問い合わせください。
View Article銀製ポット
使用感、存在感抜群のポットです。 取っ手はアールヌーボースタイルですが、全体としてシンプルで美しい姿形です。 胴部分には桜と錨のマークがあり、「かとり」と刻印されています。 「香取」は、日本海軍が日露戦争に備えて、イギリスに発注した戦艦です。 このポットは「戦艦香取」で備品として使用されていたものです。...
View Article